monotonekunの日記

書くことの意義

行動の起点

時間を浪費する毎日を過ごし、Amazonにて本を物色する自分。

ふと気付いたら、ある行動まで辿り着いたのである。

 

今でも理由はわからないが、ネットニュース等で日経平均〜やダウ〜、
ナスダック〜、S&P500、コモディティといった一度は
聞いたことはあるが、いざ説明しろと言われると
説明できない言葉や『暴騰・急騰』といった禍々しい日本語が目についた
からだと思う。

自分の人生とは全く関わりが無い、別次元の出来事という感覚でありながら、
何かとても良くないこと、もしくはとても良いことが起きているのだろう
といった興味・疑問浮かび、他人事であり興味があるという、
矛盾した感情を知覚していたからだと思う。

 

過去から自分はこういった他人事感覚であり現状に疑問を覚える事がある。

 

表立って言えることではないのだが、下記に例を提示してみる。

 ・フェスやライブ会場に存在する自分
  
熱狂し奇声や飛び跳ね転げ回り、今日が最後の日とばかりに楽しい
  といった感情を全面に出し、笑顔を振りまく群衆の中で、ふと我思う。
  『本当に楽しいという感情の人はどのぐらいいるのであろうか』・
  『ステージから見たらどう会場はどう見えるのか』・『ここにいる
   理由はなぜか』・『歌手はどういう人生であったのだろうか』と
   いったことを、熱狂する群衆に囲まれ
   ながら1人孤立しているような感覚で、疑問が沸々と湧いてくるのである。

 ・結婚式に存在する自分
  初めに断っておくと、決して祝いたくない、結婚式が嫌いなわけではない。
  ただ単に、別の興味・疑問が出てくるのであるということである。
  『自分は喜んでいるのか(この感情すら本心なのかわからない)』・
  『そもそも結婚式は誰がために挙げるのか。親?兄弟?親戚?祖先?
   (他人に喜んでもらう必要があるのか、祝うならば無償ではないか)』
  『節目が必要なのは何故だろうか(愛が感情が本心であると言い切れる
   のであれば、再確認する必要は無く、それを知らしめる必要ない
   とさえ思ってしまう。)』
  『挙げるべきというステレオタイプではないか。』
   こんな奴を呼んでいると思ったら残念だとは思うが、世の中には
   こんな奴も存在している。

   ※式中の物々しい雰囲気の中で、赤ちゃんがiPadを眺め全く式に
    興味を示さず、アニメーションに夢中になっている様子は、
    まさに自然、人間は本来これが本来の姿ではと腑に落ちてしまった。
   (決して不幸を祈るといったことでもはない、
    正しい・正しくないを論じてもいない)

 ・飲み会に存在する自分
  団欒という場、語りをきく人々、合コンの笑顔、
  大いに結構で否定はしない。
  だた目に見えるものが全て真実であるとは限らないのではないかと。
  社会的生き物として場に合わせる、カメレオンのような対応が
  生きていくためには必須の能力であったりするし毎日のように
  別人格で生きている人がほとんどではないだろうか。


  『自分は本心で楽しんでいるのか。(疑問が生まれる。)』
   ただ単に、私の場合退屈な感情が生まれるのである。

 

 

脱線した話を元に戻そう。

 

以前よりいつかは、、、と浮かんでは消えていった【投資】という言葉が
妙に引っ掛かったこともあり、自分でもはっきりとはわからないが、
目についた雑多な言葉達を頭の中で、想像・反芻しながら数時間経った頃、
あれよあれよと今まで行動に移せなかった『株の購入』を実行したのである。

思い返し、ここまで行動できた・した理由を探るが、自分でさえ理由は
わからないのだから、他人様でもわかるわけがない。
こういった理由には答えが無い=一生わかることはない。
(理由がわかる日が来ることを楽しみにしている。)

 

世の中には答えが無いことだらけで困るが、人間は忘れることができるからこそ
幸せに過ごすことができることも事実。

 

(推測はできるはずということで、自分なりに答えを出してみる。)

人間の行動は、実行の前に決まっている。


行動する時には、個人の感情が根底にあり、行動を開始したがために、
貪欲に知識を集める必要性が生まれることになり、正のスパイラル
((仮計画)→感情に基づく行動→(失敗)→知識による改善方法模索→
  実施計画→理論に基づく行動)
描き上昇回転し、最終結果(成果)を得る、
と推測する。

 

以前から、Amazonで雑多な本を物色してきたが、投資という分野を
見る事はなく、無関心を決め込んでいたことを考えると、
今回の行動の理由は、自分の把握できていない感情が根底にあったことを
前提にして考えてみた時、初めて納得できるのである。
※ちなみに証券口座は既に開設済ではあり、条件は揃っていたことも要因。

投資知識をつけたかったからなんとなく本を物色していたと自分では
思っていたが、実は『投資がしたい・やってみたい』が感情として
存在していたため、状況が合致し、感情に任せて投資の実行に辿り着いた。

 

感情と状況がうまくマッチし結果であり、運よくたどり着けただけとも
考えられるが、ここから始まるという事で生きた記録を残そうと思う。。。

 

初めて手に取った投資本はウォーレンバフェットさんの本でした。

www.amazon.co.jp