monotonekunの日記

書くことの意義

電化の宝刀

コードレス掃除機

Makitaと聞いて、皆さんは何を想像するだろうか。

現場職である自分は、一瞬で工具メーカーだと結びつくのであるが、知らない人も
おられるかも知れない。
職人曰く、工具は大変優秀で、非常に安心できるメーカーということらしい。

今回、新たに掃除機を手に入れることができたのだ。

昔から自分は部屋掃除が大っ嫌いで、誰かがやってくれ、汚れててもいいや、明日やろう、といった気になり、めんどくさくなってしまうのである。

まず第一に、自分が所有していた掃除機は黒い尻尾が生えており、長さが絶妙に微妙でコンセントを抜き差ししないと、部屋中行き渡らないので、毎度毎度コンセントが抜けてしまい、
非常に使い勝手が悪い印象で掃除=ストレスが溜まるという式が成り立っていたのである。

合わせて、何故あと数m尻尾を長くしなかったのか、組み立て式でレゴブロック並みにパーツがバラバラになり、これでは破損してくれといっているようなものではと疑問を持っていた。

 

それに我慢ができず、自分の感覚を信じることにした。

『Makitaを手に入れる』

謳い文句コードレス・ハンディ・軽量?・サイクロン・頑丈・バッテリー別売りを承知した。
合わせて、フォルムは掃除機なのかと思うほど見ていて格好がいいのである。

うん、申し分ない。


じゃあ初めて電源ON。いやOFF。いやON。NICE。

 

バキュームは唸りを上げて始動し、ギュイ〜〜〜〜〜ンという音を立て駆動部が動き出す。


ゴミが取れる取れる取れる、取れる。

部屋が綺麗になるなるなる、なる。

優秀すぎるすぎるすぎる、すぎる。

嬉しくなるなるなる、なる。

 

何もしたくなくなるなるなる、ならない。


これから相棒となるであろう予感がし、心から嬉しいかったのだ。

さあバキュームよ、そこで使われる日を待っていたまえ。

哀愁

久しぶりに父と野球観戦に行った。

 

チケットは父の会社が年間契約しているらしい席で、東京ドームもコロナの影響がおさまりつつあり、周りの席にもちらほらと観客が入っていた。

昨年、観戦にきた際には前後席や横一列誰もおらず、ゆったりとした状況で観戦できた事を記憶している。

 

席は、バックネット裏の2階席であり、イメージとしては野球盤の角度の眺めだ。

観戦中何度も過去を回想している自分がいる。
かれこれ、私が20年前の小学校から中学校にかけては、野球少年であり、友人と野球をしては夜まで遊んで帰る毎日であった。

それほど上手くもならず、最後はやめてしまうのだが、父が休みの日は野球観戦やキャッチボール・送迎等至れり尽くせりであり、グローブやバットといった道具もいつも買ってもらえた記憶がある。

登下校では友人達と鞄持ちを実施したり、道に転がり込んで休憩したり、下校に一体何時間かけるのかというぐらい時間をかけて帰宅し、人生でもあっという間でかけがえない時間であったことを思い出してる。


あの頃は、父が休みの日が待ち遠しくスーパーマンのように思っていた。

そろそろ同じ年齢に差し掛かるのか、、、と考える。

 

自分も歳を取り、給料(収入や支出)等の現実が見え、悟るのである。


当時はきっと自分への出費を抑えて、子供に費やしていたのだろうと推測する。

 

父は観戦中も、選手達のバッティングやピッチングにいちゃもんをつけたり、結果を予想したりし、昔同居している時・車のラジオを聴いている時にも良く聞いたのだが、懐かしい。

いつも思っていたことだが、父はなんとなく当てずっぽうで『外角で三振だな』・
『ライト前かな』・『低め三振』と根拠も無いはずなのに、なぜか結果が当たるのである。

そんな父を預言者のように感じていたのである。

 

【デジャブ】
既視感 過去に経験・体験したことのない、初体験の事柄であるはずにも関わらず、かつて同じような事を
体験したことがあるかのような感覚に包まれること。
「前にもどこかで一度これと同じものを見たような気がする」という感覚。

 

2人の言葉数は多くない、【話した数ではなく時間を共有していることが嬉しく思う】
これが2人の距離感であり真実なのである。

 

帰りがけ、駅で父の後ろ姿をみて、あとどのぐらい時間があるのどだろうかと想いは過ったが、考えることをやめた。

それが真実ではあるが、考えても無駄なのである。

そして、最後まで見送る事はせず、自分も帰路に着くことにした。

 

なんてことない日であったが良い1日であった。

葛藤

あの状態が襲ってきた。

 

いつも不意にくるあいつだ

本日が雨であることもあり、一層憂鬱になるではないか。

こんな日は、無くなってしまえばいい。

この年齢になると
快晴と曇天で、1日の気分が上下するようになってきた。

明らかに晴れた時は調子がいい。
何かで見たが、日光浴をすると体内ビタミンD
多く生成され、よりよく眠れるらしいが。。。
あまりこれについてはよくわからない。

あまりに晴れが続くと雨が恋しくもなる。

人間はわがままだ。

雨が好きな時もあって、夏場に多い台風による雨や
ゲリラ雷雨も眺めていられる。

怖いもの見たさなのだろう。

 

さあ、始まった。

 

音が遠くなり、常に視線が固定され、
口を大き開け息を吸い込むと涙が出る。
次第に瞬きが多くなって、次第に首が前にガクッと落ちる。
音が遠くなる。

背伸びをしてみたり、ほっぺをつねってみたり、
顔を洗ってみたりしても、室内を動き回っても、
いつまで経っても改善は見られない。

 

ああ、お前はなんで毎日やってくるか。

 

仕方ないが布団にダイブしよう。

 

 

行動の起点

時間を浪費する毎日を過ごし、Amazonにて本を物色する自分。

ふと気付いたら、ある行動まで辿り着いたのである。

 

今でも理由はわからないが、ネットニュース等で日経平均〜やダウ〜、
ナスダック〜、S&P500、コモディティといった一度は
聞いたことはあるが、いざ説明しろと言われると
説明できない言葉や『暴騰・急騰』といった禍々しい日本語が目についた
からだと思う。

自分の人生とは全く関わりが無い、別次元の出来事という感覚でありながら、
何かとても良くないこと、もしくはとても良いことが起きているのだろう
といった興味・疑問浮かび、他人事であり興味があるという、
矛盾した感情を知覚していたからだと思う。

 

過去から自分はこういった他人事感覚であり現状に疑問を覚える事がある。

 

表立って言えることではないのだが、下記に例を提示してみる。

 ・フェスやライブ会場に存在する自分
  
熱狂し奇声や飛び跳ね転げ回り、今日が最後の日とばかりに楽しい
  といった感情を全面に出し、笑顔を振りまく群衆の中で、ふと我思う。
  『本当に楽しいという感情の人はどのぐらいいるのであろうか』・
  『ステージから見たらどう会場はどう見えるのか』・『ここにいる
   理由はなぜか』・『歌手はどういう人生であったのだろうか』と
   いったことを、熱狂する群衆に囲まれ
   ながら1人孤立しているような感覚で、疑問が沸々と湧いてくるのである。

 ・結婚式に存在する自分
  初めに断っておくと、決して祝いたくない、結婚式が嫌いなわけではない。
  ただ単に、別の興味・疑問が出てくるのであるということである。
  『自分は喜んでいるのか(この感情すら本心なのかわからない)』・
  『そもそも結婚式は誰がために挙げるのか。親?兄弟?親戚?祖先?
   (他人に喜んでもらう必要があるのか、祝うならば無償ではないか)』
  『節目が必要なのは何故だろうか(愛が感情が本心であると言い切れる
   のであれば、再確認する必要は無く、それを知らしめる必要ない
   とさえ思ってしまう。)』
  『挙げるべきというステレオタイプではないか。』
   こんな奴を呼んでいると思ったら残念だとは思うが、世の中には
   こんな奴も存在している。

   ※式中の物々しい雰囲気の中で、赤ちゃんがiPadを眺め全く式に
    興味を示さず、アニメーションに夢中になっている様子は、
    まさに自然、人間は本来これが本来の姿ではと腑に落ちてしまった。
   (決して不幸を祈るといったことでもはない、
    正しい・正しくないを論じてもいない)

 ・飲み会に存在する自分
  団欒という場、語りをきく人々、合コンの笑顔、
  大いに結構で否定はしない。
  だた目に見えるものが全て真実であるとは限らないのではないかと。
  社会的生き物として場に合わせる、カメレオンのような対応が
  生きていくためには必須の能力であったりするし毎日のように
  別人格で生きている人がほとんどではないだろうか。


  『自分は本心で楽しんでいるのか。(疑問が生まれる。)』
   ただ単に、私の場合退屈な感情が生まれるのである。

 

 

脱線した話を元に戻そう。

 

以前よりいつかは、、、と浮かんでは消えていった【投資】という言葉が
妙に引っ掛かったこともあり、自分でもはっきりとはわからないが、
目についた雑多な言葉達を頭の中で、想像・反芻しながら数時間経った頃、
あれよあれよと今まで行動に移せなかった『株の購入』を実行したのである。

思い返し、ここまで行動できた・した理由を探るが、自分でさえ理由は
わからないのだから、他人様でもわかるわけがない。
こういった理由には答えが無い=一生わかることはない。
(理由がわかる日が来ることを楽しみにしている。)

 

世の中には答えが無いことだらけで困るが、人間は忘れることができるからこそ
幸せに過ごすことができることも事実。

 

(推測はできるはずということで、自分なりに答えを出してみる。)

人間の行動は、実行の前に決まっている。


行動する時には、個人の感情が根底にあり、行動を開始したがために、
貪欲に知識を集める必要性が生まれることになり、正のスパイラル
((仮計画)→感情に基づく行動→(失敗)→知識による改善方法模索→
  実施計画→理論に基づく行動)
描き上昇回転し、最終結果(成果)を得る、
と推測する。

 

以前から、Amazonで雑多な本を物色してきたが、投資という分野を
見る事はなく、無関心を決め込んでいたことを考えると、
今回の行動の理由は、自分の把握できていない感情が根底にあったことを
前提にして考えてみた時、初めて納得できるのである。
※ちなみに証券口座は既に開設済ではあり、条件は揃っていたことも要因。

投資知識をつけたかったからなんとなく本を物色していたと自分では
思っていたが、実は『投資がしたい・やってみたい』が感情として
存在していたため、状況が合致し、感情に任せて投資の実行に辿り着いた。

 

感情と状況がうまくマッチし結果であり、運よくたどり着けただけとも
考えられるが、ここから始まるという事で生きた記録を残そうと思う。。。

 

初めて手に取った投資本はウォーレンバフェットさんの本でした。

www.amazon.co.jp